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オーストリアの田久保賢植選手からのメッセージ

私は今、ヨーロッパにあるオーストリアという国で選手をしながら監督をしています。

ここでは野球が日本のように盛んではなく、競技人口もはるかに日本よりも少ない国です。僕がここに立つまでは多くの『寄り道』をしました。

 

高校は全く千葉県でも無名の県立校。県大会も1回戦が勝つのがやっとで、プロのスカウトの目に留まるなんて到底かなう学校ではありませんでした。当時、野茂さんが海を渡ってメジャーリーグの舞台で大活躍していた頃だったので、テレビの中でみるアメリカの野球に次第に惹かれていき、いつしかその場所を目指すようになりました。というよりも、日本ではどこの学校を出たとか、名門でないとプロにかかりにくいとか、そういう煩わしい事が苦手でした。アメリカなら自分を無名校の選手であっても正当に評価してくれるはずだと信じて、17歳の高校在学中にフロリダにあるアカデミーへ行きました。(これは後日、高野連の人にすご~く怒られました・・・。)

現地では17歳という年齢に加えて、ある程度の評価をしてもらったものの、アメリカ人にパワーで負けるものかと行ったハードなウェイトトレーニングのおかげで、渡米前に患った肉離れもあって契約に至りませんでした。

 

大学に進学後、1年生から試合に出るも生意気だった若気の至りで監督の指示に従うことができずに簡単に辞めてしまい、学校も退学しました。

ここからが冒頭に言った『寄り道』の始まりです。

アメリカのサマーリーグ、スポーツの専門学校、社会人野球、四国アイランドリーグ、カナダのセミプロリーグとチームを渡りました。カナダでは数試合でリリースされてしまい、悔しくてとにかく色々なチームにメール送ったり、コンタクト取ったりしましたが、いい返事をもらうことができずに、直接チームの練習に勝手に入ったり、何日も通って直談判しました。とにかく自分がそこでできる限りのベストを尽くしました。今だから言えますが、滞在費を浮かせるために知らない女性と同じ部屋で数日間生活をしたこともありました(笑)

とにかく、ここで心の底から挫折を味わった僕は、目指していたはずの舞台を諦めて就職をしました。これからは野球人としてではなく社会人として生きていくと決めて、全力で仕事をさせてもらいました。そこでの経験は、逆にこれまで自分がどうして目指していた舞台に立つことができなかったのかを結果的に教えてくれました。それに気づいてしまった僕は、育ててもらった会社を自分の都合で辞めさせてもらいました。安定した生活を捨ててでもどうしてもトライしたかったのです。

ここからが再び『寄り道』の始まりです。

2010年、トライアウトに合格していた、韓国人だけで構成されるチーム『コリア・へチ』で当時唯一の日本人としてプレーをして、シーズン終了後にはすぐにオーストラリアへ。2011年、帰国後はホームラン記録、史上3位の567本を打った門田博光監督率いるチームへ。2012年は日本人初のチェコ共和国でプロ契約を果たす。2013年は10年近くぶりのアメリカ、プロ野球独立リーグへ。そして2014年の今年はオーストリア共和国で選手兼監督としてプロ契約を交わして、現在はオーストリアのグラウンドに立っています。

 

数々の『寄り道』はこの場所の為にあります。

線で結ぼうと歩いてきた道ではなく、各地での点が線になって今があります。自分がまさかオーストリアに来て野球するなんてことを10年前に想像していたはずがありません。

しかし、選手として野球人として必要とされたのがたまたまここだっただけです。MLBやNPBを目指して色んな国で、色んなトライをしてきましたが、今、自分が野球人として必要とされた場所はこのオーストリアです。ここで必要とされたのであれば、これまで歩んできた『寄り道』も悪くないもんだなって思っています。

 

もしかしたら、次のステージがあるかもしれないし、ないかもしれない。

だけど、その時々に自分の全力を注いできたからこそ、今もグラウンドに立てているような気がします。

 

こんな生き方がいいか悪いかはどちらでもいいんです(笑)

野球に育ててもらって、その野球に恩返しをすることはとてもシンプルだし、当然なんじゃないかなと僕は思います。

僕は野球があったから朝も早く起きれるようになったし、野球があったから辛いトレーニングにも耐えて体まで鍛えて、今も健康でいられる。

 

こちらに来て特に思います。

今の日本の野球はちゃんとした歴史の上に成り立っているんだなと。このオーストリアにはまだ歴史が深くないだけ、歴史が成り立たせていないように感じています。日本でこの年齢ならこれくらいはできるだろうということも、こちらの歴史では通用しません。だけどそういった国の歴史づくりも野球先進国である日本人の一人がやってたっていいじゃないって。

 

だから僕はこれまでプレーしてきた6ヵ国(日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国、チェコ共和国)と同じようにここでも全力で野球に取り組みます。

植松君と同じ30歳になりましたが、今年も目いっぱいグラウンドを走り回ってきます!

 

 

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