元メジャーリーグサッカーの森下純トレーナーからのメッセージ
アスレティックトレーナーを目指すきっかけを紹介していきたいと思います。
島根県の小さな町で生まれました。
もともとスポーツ大好き少年で、保育園の頃からサッカーをやり始め、小学校で陸上を始めました。小6くらいから成長痛に悩まされて、なかなかまともに運動することが難しい時期もありました。
整形外科のドクターに診てもらおうと思っても車で1時間離れた距離にあり、なかなか通えない状況にありました。先生に診てもらった際も、診断していただいて電気治療していただいて処方箋を出していただいて終わり。休養が1番だねと言われます。
その後のケア、リハビリ、復帰のタイミングなど全く分からないままの状態で成長痛と闘っていました。中学に上がり、軽度のハムストリング肉離れ・足首ねんざを何度かした時も同じ流れでした。痛みが消えたら動き出して、また痛みが出たら休んでの繰り返し。なかなかモヤモヤした気持ちで校庭に出ていたのを思い出します。
そんな中、中3の春に大きな出会いがありました。
同じ町出身の先輩が留学先のアメリカから一時帰国されていて母校の中学校に立ち寄られました。たまたま同じ走り幅跳びを専門とされていて、県大会に向けて練習していた自分の練習を見ていただくことになりました。そこからは毎日二人三脚での練習の日々です。
その間練習中にアメリカでの生活の事、留学生活の事、アスレティックトレーナーという職業のこと、将来の目標など色々な話をしてくださいました。その当時は全く想像できないことをお話しされてて、「へぇ~そんな仕事もあるんだ」とか「英語話せるってかっこいいな」というくらいでした。
トレーニング、怪我の予防、ケアの仕方などなどたくさんのサポートをしていただきました。二人三脚の練習のおかげで走り幅跳びの標準記録も突破し全国大会、その年の秋には県代表として国体にも参加させていただきました。
高校に進んで陸上を続け、3年間の部活も終わり、これからの進路に迷っていた3年時の秋。大学に進んでまだ陸上を続けるか?
将来何を目指そうか?進路に悩んでいた頃にたまたまアメリカから帰国されていた先輩に再開することが出来ました。
色々なお話をしてくださり相談に乗っていただく中で、留学してアスレティックトレーナーになるという目標がいつの間にか自分の心の中にありました。
1人ではなかなか決断を下すのが難しかったのではないかなと思いますが、実際に留学を体験され、アスレティックトレーナーになられた先輩からお話を聞いていく中で、やはり目指すからにはスポーツ医療最先端をいくアメリカで勉強するのが1番だと感じました。
中3の時、先輩と二人三脚で目指してた標準記録を突破した時の感動、気持ちの高ぶり、興奮、感謝などなど自分が選手として体験した事を今度はサポートする立場で味わっていたい。そんな仕事について自分と同じ境遇のアスリートをサポートしたい。
これが自分がアスレティックトレーナーを目指した根本的な理由です。
そんな自分の人生に多大な影響を与えた大先輩とは、PHI Pilates JAPAN代表で株式会社CODE7代表取締役の桑原匠司さんです。匠司さんとの出会いが無ければ、きっと留学もしていないしアスレティックトレーナーにもなっていないと思います。最も尊敬している大先輩の1人です。
留学前に決めた目標がありました。
国家試験に合格してNATA公認アスレティックトレーナーになる事。
プロの現場で働くATCになる(MLSかMLB)
南イリノイ大学に入る際に、匠司さんに紹介して頂いたのが植松泰良さんです。
泰良さんには大学時代大変お世話になりました。勉強・授業の事から私生活の事まで色々と面倒みていただきました。朝授業を受け、午後からは大学内での実習の毎日です。実習後ほぼ毎日のように図書館か学生センターに行き、隣同士座りながら深夜0時頃まで勉強をしてた仲です。傷害評価をお互いにしてみたり、リハビリについてあーだこーだと議論したり。これまでで1番勉強したのが大学時代でした。
インターンを経て、多くの経験をさせて頂きました。
将来野球かサッカーのプロの現場で働きたいとの想いがあったので夏の間は授業を取らず、毎年インターンをさせていただきました。特に大学内でサッカー部が無かったので経験をつみたいとの想いからサッカー中心でインターン先を探していました。
履歴書などを送ってもアメリカ1部MLSのチームからなかなか返事がもらえませんでした。ならばと2部に相当するUSLのチームに送るもこちらもなかなか返事がもらえず。またもらえても募集はもうすでに終了したとの事でした。
当時泰良さんはSF Giantsの3Aチームで所属されていました。チームが遠征でオレゴン州ポートランドを訪れていた時、当時2部USLに所属していたPortland TimbersというチームがあるからそこのATCに話してあげるよとわざわざ自分の履歴書を持ってお話をしに行って頂きました。
泰良さんの仲介もあり、そこから事がスムーズに運び、面接を終えた後正式に夏の間インターンさせていただけることになりました。それが2007年夏。そこから卒業までの3年間毎年夏はポートランドに行き、2-3ヶ月インターンとして毎日働かせていただきました。
その間サッカーだけではなく、MLB San Diego Padressの3Aチーム、高校、整形外科クリニック、手術見学など色々な場所で経験を積む事が出来ました。大学内の実習だけでは絶対に出来ない事を数多く経験させていただきました。
3年間で築いたチーム関係者との関係、監督・GMとの関係、チームATCとの関係など相手に自分という人間を知ってもらうのに十分な期間でした。チームが2部USLから1部MLSに加入する時に丁度良いタイミングで仕事をオファーしていただきました。留学前から目指していた目標を達成できすごい嬉しかったのを覚えています。
2011年から2013年までの3シーズンをATCとして働かせていただきました。
刺激に満ち溢れたものすごくやりがいのある仕事で、3年間というのがあっという間に過ぎていったなという感想です。ATCとして間違いなく成長出来たと思う反面、まだまだ自分には足りない事が多すぎるとも痛感しています。またプロの世界ならでは側面も体験し大変貴重な経験になりました。
これからアスレティックトレーナーを目指すみなさんへ
いくつかお伝えしたい事をここに書く記したいと思います。
是非機会を設けてインターンをしてください。
自体験からいえる事はこれです。インターンシップをしていなければ今の自分はないと思えるほどたくさんの事を学ばせていただきました。学問的に学ぶ事が多いのも事実ですが、そこで出会える人とのつながりもまた大切だと思います。インターン先で体験できる事・学べる事はとても多いです。将来(仕事など)の話もインターンを通じて出てくる場合もあるかもしれません。アメリカに残り仕事をしたいと思ってる方にとって、労働ビザを取得するのはなかなか大変なことです。学生のうちから自分の可能性を広げておくのも1つの方法かなと思います。
また、明確な目標を立ててそれを目指して日々頑張ってください。
留学時に設定した目標を常に思いながら大学時代必死に頑張っていました。
卒業して試験に合格し晴れてアスレティックトレーナーになったけれども、晴れてMLSのATCとして働いているけども、さてこれからどうしよう・・・?というこれからの自分の方向性が分からないまま過ごしていた時期がありました。
国家試験・資格取得はあくまでも通過点。それを元にどんな仕事に就きたいか、どのような形で仕事をしていくか、大きく言えばどんな人生を送りたいかを頭に入れておくといいかなと思います。
次なる目標を見つけて、このタイミングなんだなと思いお世話になったチームを離れ昨年末に帰国しました。今年からは日本で活動し次の目標に向けて活動しています。
原点回帰。
やはり自分がこの道を目指そうと思った大本の気持ちを大切にして、微力ではありますがこれから社会に貢献していきたいと思っています。
長々と最後まで読んでいただきありがとうございました。
自分の経験が少しでもお役に立てればなと思います。何か感想・質問などありましたらこちらにご連絡いただければ幸いです。
j.morishita5@gmail.com
森下 純